成長とは、世界を広げること

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こんにちは、yukinoshitaです。
今回の記事では、初回の記事でお話しした、「魂は成長したい」という部分について、ちょっとお話ししたいと思います。

 

まず私は、成長するために生きていると、強く感じています。
「成長」のため、です。
大事なことなので、2回言いました。笑

 

それじゃあ成長ってなに?って問われると、私は、価値観の抽象度を上げることだと思います。
抽象度を上げるとは、
既存の価値観A+異なる価値観B=新たな価値観A’
ということで、新たな価値観A’とは、既存の価値観Aも、異なる価値観Bも採用できる、「より広く、深い」価値観のことです。
前の記事では、ジンテーゼとして紹介しました。

 

図にしてみると、
既存の価値観A

異なる価値観B - 新たな価値観A’
という感じです。

 

まぁちょっと、具体的に考えてみたいと思います。
2回目ですが、好きなので、こちらのCMを例にします。笑

[Thai TVC] "The Deaf Violin Player" Pantene

この「聾のバイオリニスト」の価値観は、
バイオリンを弾くのが楽しいA

普通じゃない人には制約があるB - 本物の輝きに本質的は制約はなく、美しいA’
このような配置になってるのかな、と思います。

 

価値観A’を手に入れた彼女は、きっと、価値観Bを理解することができると思います。
やっぱり、耳が聞こえないから、「普通の」音を奏でることができない「制約」はある、というような感じです。
だけど、それでも表現に「制約」はなく、普通じゃないからこそ美しいことを彼女は知っています。

 

まぁ、これは想像になるのですが、笑
彼女はきっと、自分を虐めていた女の子に、本物の輝きは美しいことを教えるんじゃないかな、って思います。
評価されるためじゃなくて、自分の中にある美しいもののために演奏してほしい、みたいな。

 

っていうのも、この虐めていた女の子、きっと主人公の「輝き」に気付いていたと思うんです。
そうでないと、あんなに必死になって潰そうとしませんからね。笑
「”本物の”この子が出てきてしまうと、今まで頑張ってきた私が追い抜かされてしまう…はやく、潰さなきゃ…」
そんな気持ちだったんじゃないかな、って思います。

 

さらにいうと、かなりスパルタな音楽教育を受けてるみたいなので、
「とにかく結果を出しなさい!」って言われて育ってきてそうですよね。笑
結果を出して、誰か(先生とかかな?)に認めてもらうために必死になってる。
虐めている女の子には、そんな背景がありそうです。

 

この女の子は最後のシーンで、「聾のバイオリニスト」の”輝く”を見て、呆然と立ち尽くしていますよね。
「私もあんなに、美しくなりたかった…」
そんな時に、「聾のバイオリニスト」がやってきて、言うのです。
「あなたの音色もきっと美しくなる。だから、もっと自分の美しさのために、音楽と向き合って。」

 

このあとの彼女は、「自分の輝き」のために、音楽と向き合うんじゃないかな、って思います。
そうして、「人から評価されることが全て」を抜け出せた彼女は、
また「人から評価されることが全て」の人を救っていくと思います。

 

これに、成長の良さって、詰まってると思います。
まず単純に、成長する瞬間、つまりアウフヘーベンは、人に美しさ、感動を届けます。

 

この感動って、「同情で泣く」とかとは、決して違うものなんです。
同情って、ある意味自分のためのものですが、感動は、その人のためです。
自分の価値観ではなく、”その人の価値観”が今までの価値観を揺さぶる現象が、感動なのかなって思います。

 

そして、成長する、つまり、価値観の抽象度を上げることで、他の人の価値観を上げることもできます。
「聾のバイオリニスト」が虐めていた女の子に、本物の輝きを探すよう助言したように、
他にも「制約」のある人を、自身の活動で彼女は救えるんじゃないかな、って思います。

 

そうして、また成長した人が、次の人を成長させて…
そんな”輝きの連鎖”がある、って考えてみると、やっぱり成長っていいなって思います。

 

成長、つまり価値観の一体化のためにも、
「本物の輝き」を見つけること(価値観A)も大切だし、
自分の失敗やトラウマ、自分の闇と向き合うこと(価値観B)も大切です。
全てが成長につながり、美しさや感動を生みます。そしてそれは連鎖していくのです。
まぁ、それを見たいから、”人を輝かせる”というのが、私の人生のコンパスなのだ、という話になるわけです。笑

 

というわけで今回は、「成長とは、抽象度をあげていくこと」という話をしました。
何のために生きてるの?って聞くと、
「幸せの為に生きている」っていう人、結構多いのかなって思います。

 

これ自体は全然良くて、正しいことだって思うんですが、もし
「(一般的な)幸せ(を得ているように見られる)の為に生きている」
になっていたら、もっと考えてほしいかな、って思います。
それって、「人に認められたい!」っていう執着ですからね。

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