虚数iを仮定してみる

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こんにちは、yukinohitaです。
以前の記事で、「考えるのは頭だけじゃなくて、全身だ」っていうお話をしました。
そのとき、「非科学的だ!」っていう批判もあるかもしれない、っていいましたが、
今回は、そういった「非科学的なもの」って、どう捉えたらいいのだろう?っていうお話をしたいと思います。

 

ここで、一つ数学の例をお話したいと思うんですが、
虚数”i”っていう考え方、思い出してみてほしいと思います。

 

これって、「2回かけたら-1になる数」なんですけど、
実際そんなものって、現実世界には存在しませんよね。笑

 

もしここで、「そんなものないじゃないか!」なんて一々言っていたとしたら、
数学の進歩って、ここまで進んでいなかったと思います。

 

というのも、
「世界一美しい方程式」として有名な「オイラーの公式」も見つけられなかったと思いますし、
それに伴って、この公式を実用的に使う工業数学も発展していないはずですからね。

 

このように数学について考えてみると、「答えを導く」ために、「とりあえず存在します!」と
仮定をする感覚が大事なのが分かるんじゃないかな、って思います。

 

そしてもし例えば、虚数iを用いた計算の結果、1という実数が出たとします。
この「1」って実数なので、数えることができますよね。
なので、これはこの結果として、観測可能なものとして進めていくことができるのです。

 

つまり、
結果を出すための過程であれば、自分にない考え方を「採用してみる」ということを、
やってみたらいいんじゃないかな、と思います。

 

じゃあ一体、「結果ってなに?」っていう話なのですが、
私は、「自分自身が一番希望を持って、理想に向かって前向きに努力できる考え方」がいいのかな、と思います。
この記事では、そのように考えられる「仮定」を紹介しています。

 

例えば、前の記事で紹介した「お金とエネルギー」という関係性も、
まぁある意味で、そういう仮定を置いているだけなんですよね。

 

ですけど、
お金だけを得ることが幸せじゃない。お金を得る器の人間になることも大事だ。
っていう考え方を違和感なく取り入れるためには、とってもいい考え方だと思うんですよね。

 

アドラー心理学の「目的論」をお勧めするのも、やはり希望が持てるからです。
過去の出来事は変えられない(原因論)けど、今の出来事は変えられる(目的論)わけですからね。

 

他にも、一つ面白い考え方を紹介したいな、と思います。
前回の記事だったと思うんですけど、最後の方に「天国」と「地獄」っていう言葉を使って、
少し自分の意見を話したと思います。

 

まぁ、ここで「天国と地獄って本当にあるんですか?」ということは一旦置いておいて、
「ある」と仮定して進めていきたいと思います。

 

例えば、「今世がどんなに不幸でも、死んだら必ず天国に行けます!」
っていう考え方、ちょっと微妙だなーって思っています。

 

だって、この考え方を採用しても、生きている間はずっと不幸なわけですからね。
この考え方は、「理想に向かって」っていう、”現実を生きる”力の原動力にならないなーって思うわけです。

 

私はどちらかというと、「器に入っているエネルギーの高度が、天国と地獄、どっちに近いか?」って考えたら良いんじゃないかな、と思っています。
図にしてみると、以下のような感じです。

天国
|   |
|–|
|   |
|   |←エネルギーの箱
|   |
|   |
|   |
|   |
|   |
—-
地獄

この図の場合、エネルギーの高度が「天国」に近いので、きっと「天国」に行くのだろう、というような感じです。
というかむしろ、生きているときにも天国的だ、つまり幸福だって思えているんじゃないかな、と思います。

 

少なくとも、ずっと後悔していたり、前に進むことを諦めて、人のエネルギーを奪うことばかり考えている人よりは、
よっぽど幸せなんじゃないかな、と思います。

 

さらに、エネルギーの総量は「自分自身」の成長量で決まるので、自分の意思次第で天国に行くことができるのです。
まぁ、なんてお得な考え方なんでしょう!笑

 

少し話がずれちゃいますけど、
ここで一つ、「天国」と「地獄」にまつわる、有名なお話を紹介したいと思います。

 

「地獄」に堕ちた亡者たちは、飢餓に苦しんでいます。
目の前には美味しい料理が並んでいるのに、片腕は椅子に縛り付けられ、もう片腕には、腕の長さよりも長いスプーンが縛り付けられています。
目の前に料理があるのに、どうやっても食べることができません。
「なんでこんな長いスプーンが…」
そうやって、長いスプーンに原因を作り、ずっと苦しんでいるのです。

 

一方の「天国」は、みんながおいしい料理を食べ、幸せそうでした。
でもなんと、与えられている状況は全く同じなのです。
地獄の亡者と同じく、片腕は椅子、もう片腕には、長い長いスプーンだったのです。

 

じゃあ、どうやっておいしい料理を食べているのかというと、
ちょうどいい長さのところにいる人の口に、自分の長いスプーンを運んでいたのです。

 

このスプーンを何のために使おうか?と考えたことで、
自分のためじゃなく、人の為にスプーンを使うことになりました。

 

そしてその結果、その感謝を他の人に返す…という連鎖が起こることで、
そこにいるみんなが満腹感と、幸せを同時に感じていたのです。

 

まぁこの話から分かることって、天国と地獄って、結局「場所」じゃなくて「考え方」なんだなってことだと思います。
前の記事でも紹介した通り、地獄には、泣いている自分の顔が映っているだけ、なんです。

 

というわけで今回は、「自分の人生を良くする仮定を持とう!」というお話をしました。
宗教とかも結局、この「仮定をもって、人生をよくしよう!」っていう考え方が同じなんですよね。価値観として取り入れることは勿論いいと思うんですけど、まぁただ、「傾倒」したり、「盲信」するってなると、また別の話ですよ。笑

 

数学でも、時代の流れとともに新しい仮定が生まれ、法則が見つかることで
「数学」という分野がアップデートされてきました。同じように、
”あくまでも今は”こうだ!って思う、他の考え方を受け入れられる「たわみ」を残すことも、とーっても大事です。

 

そうやって今の自分にない「仮定」を採用してみたら、人生のエネルギーを高める機会が見つかるかもな、って思います。

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