日常の全てが学びである

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こんにちは、yukinoshitaです。
前回の記事では、「学び方」について、グーグルマップの例を出して、お話ししました。
日本地図のように、全体を俯瞰した軽い情報で持ちつつも、
ズームインしていくと、そこには県道やお店の名前など、沢山の「重い」情報が付加されているような、
そのようなイメージで学ぶことが大切です。

 

それでは、どのようにして、このような学び方をしていけばいいのでしょうか。
今回は、それについてお話ししたいと思います。

 

前回は、「自転車が乗れるようになるには?」という例で考えてみましたが、
この答えは簡単で、「乗れるようになるまで練習する」ですよね。笑

 

まぁ、他の知識を学ぶときにも、このように、「使えるようになるまで練習」すればいいだけ、なんですけど、
知識って、どうしても「乗れるようになった!」っていう感覚がないんです。

 

だからこそ、知識を知っているだけで、それをちゃんと使えていない人が
「俺、この知識知ってるんだぜ、すごいだろ!」
って言ってしまいがちなんですよね。笑

 

こういう人のことは世間で、「意識高い系」と呼ばれることが多いです。笑
とは言いつつ、知識を集めることも大事なので、
大きく批判する必要もないかなー、とは思います。

 

さて、話は逸れましたが、
知識という実体のないものを、自転車のように「乗れるようになるまで練習する」ために
どうしたら良いのかというと、
「そのテーマ」のフィルターで、意識して世界を見続けることと思います。

 

どういうことかというと、
例えば「体癖論について学びたい!」と思ったとします。
こんな時、なんとなくテレビをぼーっと見てても、
「あれ、この芸能人って、体癖何種なんだろう…」
と思って見てみる、という感じです。

 

これを、
たまたま出会った人であったり、どうしても反りの合わない上司であったり、いつも仲良くしている家族であったり…
いろんな人に対して、「体癖」のフィルターを持って見てみるんです。

 

体癖論に限らず、「目的論」にしても同じです。
人の相談を聞いたり、テレビやネットで見かけたときに、
「もし、嫌われない勇気の哲学者のようにアドバイスするなら、どうするだろう…」
というフィルター考えてみるのです。

 

こうやって考えてみると、特別でもない日常のあらゆる所に学びが埋もれているな、ということが分かるんじゃないかな、って思います。
特別でもない日常からでも、フィルターを通して世界を見てみると、学びを生み出すことって可能なんです。

 

前の記事では、「スコトーマの原理」を説明しました。
簡単に復習しておくと、
人は見たものの中から、「その時に」重要だと思ったものだけを都合よく認識していて、それ以外は「盲点」になっている
という原理です。

 

これは、「潜在意識」で行われる処理なので、
それをいかに「顕在意識」まで表層化できるか?ということが大切になのですが、
その方法が、あえて「フィルターを通して」世界を見てみましょう、ということになるのです。
例えるなら、いつも無意識で行われている呼吸を、あえて意識的に深呼吸する、みたいな感じでしょうか。

 

こうやって何気ないことでも、「スコトーマの原理」を応用すれば、
日常の全てが学びなんだな、ということが分かってもらえるんじゃないかな、と思います。

 

というわけで、「日常の全てが学びである」というお話をしました。
日常をフィルターを持って観測すること以外の、おすすめの学びの方法は実はもう一つあります。
それは、学んだことについて人に教えることです。
つまり、アウトプットする、ということになりますね。

 

人にものを教える職業の方(例えば、教師や会社の教育担当の方)ならわかると思いますが、
教えるつもりで人にしゃべってみると、
「あれ、自分ってこんなこと知ってたんだ。」
っていうような経験、あるあるなんじゃないかな、と思います。

 

これはどうして起こるのか、というと、
「自分一人の考え」だと起きないような脳のシナプス結合が起こるからです。
簡単に説明すると、
「情報を入力するとき」の脳の思考回路と、「情報を出力するとき」の思考回路って、違うということです。

 

例えると、いつもと別のルートをたどって、ゴールにたどり着くみたいな感じです。
そして、そのルートの過程でつながったシナプスを観測して、
「あれ、こんなこと知ってたんだ」
となるわけです。

 

なので、自分がしゃべってることを一度意識してみると、
誰がしゃべってるんだろう、っていうような、可笑しな気持ちになることがありますよ。笑

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